身体化された認知(1)
「身体化する心」とか訳させているようである。Embodies Cognitionと表記させる。
さて、いったいどのようなことを指すのかというと、
簡単な例を挙げると面接官に堅い手持ちボードを渡したときと柔らかいボードを渡したときでは、面接官の評価が堅いボードを持たせたときの方が評価が厳しくなるという。
これは、すでに論文にもなっている。また、「重たい荷物を持って出かけたときと軽い荷物を持って出かけた時には、重い荷物を持った時の方が気分が重たくなってしまう傾向にある。」だそうです。
つまり、我々は触覚によって認知行動が支配されてしまい易いようである。
しかし、これは、意識をさせてしまうと作用は半減してしまうそうだ。
確かに、人間は赤ちゃんの頃から考えると生まれた時は触覚や嗅覚に頼って行動をしている。
新生児の頃の視力はかなり悪く、親の顔を識別することができない。しかし、乳首の探索行動は起こる。これは、母乳のにおい、つまり嗅覚を使っての行動であり、口の中に指を入れると吸引するのは触覚になる。
また、上肢を大きく動かして物を探索するのでなく、手の平に触れたもの対して握る反射把握反射が生態的に持っている。大きな音を立てるとビックリした様子をするモロー反射などを考えると、やはり視覚の情報は新生児にはまだ備わっていない状態であることがうかがえる。
そして、顔を認知できるようになるのは、どうも人見知りをする時期、はっきりと人の顔を認識するために人見知りをするのであろうと考えられている。
しかし、触覚に関して統合させる時期はもっと先である。さまざまな経験を積むことで触覚や感覚が統合させる。その統合させる時に、触覚と感情とが脳内の似通った領域に統合させる結果、上記のような感覚が生まれてくると考えられている。
脳内機能は沢山の神経細胞が存在しており、さまざまな感覚を同じ局所にて処理を行っている。その際に触覚と感情とが同じ領域内で処理されるために上記のような現象を起こしているようである。
なんとなくわかったような気がするが…
これらの考え方をリハビリテーションの治療方法に応用することを考えていきたい。
うまく、この現象を利用することで感覚や感情をコントロールすることができればとても有益な方法となると考える。しかし、意識をすることで機能の作用が低下するので意識させないように応用するには一工夫必要である。
もう少し、よく考えて研究をしてみたいと思う。
次回はすこし応用例を考えてみたい。
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