図解による理解の促進(2)
文章表現の限界について述べました。
文章の限界は文脈にそって進めることしかできず、書き手の思考を理解するために何度も読み返す必要がある。最後まで読み続けなければ全体像を理解することができない。新しい言葉や定義の説明が文脈に中に入ることで、説明となり時間と脇道にそれてしまう可能性がある。そのため構造の連続性、因果関係、時間の連続性の把握することが難しくなることが言えました。
そこで、これらを図に書いてみると一目瞭然となり、全体像を把握することが出来るようになります。つまり、視覚的にイメージでとらえることにより、全体像を把握し易くし、論理的関係、人間関係、地理的関係、時系列上の関係などをストレートに表現することができます。
そのため、図解は物事を「理解」「思考」「伝達」する等の人間の思考やコミュニケーションを力強く
手助けしてくれます。
「理解」とは、物事を自分がわかることであり、そのためには段階があります。
第一段階として、個々部分を知識として「ばらばらにわかる」段階、
第二段階として各部分のつながりが見えてくる「全体的・体系的にわかる」段階、
そして、自分自身の方法をつかって「表現できる」段階の三段階を経ていきます。
図解によって、自分なりに理解をすすめ、自分からつなぎ合わせていき、全体像を自分なりに整理することが出来るようになりますから、「理解」の三段階を自分で自然に進めることが出来るのです。その結果、自分で図式化することで、一度描いた図は蓄積されて、分野が異なっても何かしら接点があれば、それらは自然に結合し、有機的なネットワークを作り、新しい知識となります。
「思考」については、図解することにより自分の思考を客観的にみることが出来るようになります。
人間の頭で、思い浮かべて操作できるキーワードは2あるいは3つぐらいで、多くて5つ程度です。
そして、たくさんのキーワードがあればあるほど思考は混雑して、パニックに陥り働かなくなります。
しかし、図解により思考を構造化することで「論理」だけではなく、「イメージ」や「感性」を利用して
思考することになります。そのため、今までとは違った脳の働きを促すことが出来るようになります。論理的に考えるのは左脳で情動を司るのは右脳になります。両側の脳をバランスよく使うことで、より理解は進むと考えられ、独創的な知的生産活動を行うことができると考えます。
「伝達」については、文章の場合の伝達力は書き手の意図の約20%程度しか伝わりません。箇条書きでは確認をすることは可能でも、それらの関係性や重要度の違いはわかりません。ですから、文章、口頭での伝達には書き手、読み手のイメージ、捉え方が異なるため、誤解が絶えないのです。
しかし、相手に具体的にしかも視覚的に全体像を把握することが出来てからであれば、議論が深くすることができますし、いいアイディアもでてきます。そして、言語の違いがあったとしても言葉の理解はなくてもある程度の内容を理解することが可能となります。
つまり、文章表現を文章のまま取りこむのではなく、図解をすることにより、内容の理解を促し、熟考することができ、他者に対してもきちんと伝達することが可能となります。
ユマPT教員の独り言
PT(Physical Therapy:理学療法士)を育成するユマニテク医療福祉大学校の教員が仕事内容の紹介、講義の様子、学生生活の様子を紹介していきます。「よく学び、よく遊び」をテーマに掲載して行きたいと思います。
自己紹介
- 編集長
- 四日市市塩浜本町, 三重県, Japan
- ユマニテク医療福祉大学校の教員をしています。専攻は理学療法学科です。これから、学生とともに学校生活と理学療法士に仕事について紹介をしていきます。
2010年9月17日金曜日
2010年9月9日木曜日
図解による理解の促進(1)
図解による理解
以前にScience Writing Heuristic(SWH) は理科系の学習方法では効果的であり、すでにその効果に関しては有効であると証明されている。しかし、SWHについて教育学部の先生に質問をしたところ、欧米の言語学習についての学習効果は、聞いて記憶し学習する過程の効果についての有効なことが証明されおり、またアジア圏の言語学習については、書いて記憶し学習する効果が有効であることを教えていただき、掲載もしました。
その中でも、理科系の学習方法については、以前より書いて学習することに有効であることを証明している部分があることも教えいただきました。そのため、書いて記憶・理解を進める方法が、科学的な理解を得られていることであるそうです。
そこで、SWHを日本語で訳するのは難しいのですが、訳すると、「文字化による科学的仮設形成法」とでも訳すると良いかもしれませんね。
でも、最近、書店などを見ると「図式化による理解を深める」「図で考える人は仕事ができる」など、難解な問題を解決するために問題を図式化することにより明確することを薦めています。実際にその効果意外と、よく私も利用しています。
では、何故、図式化することでより、問題点が明確になるかを検討してみましょう。
文字、文章による理解は、「読表百編、意自ずから通ず」つまり、「何度も繰り返して読むことで、筆者が言いたいことが自然とわかるようになる。」ということである。確かに難解な文章を読み解くために何度も読み返した記憶がある。しかし、筆者の言いたいことは本当に伝わったのであろうか疑問に残ることがある。例えば、電話にて学校の場所がわからないので教えて欲しいと質問されたときに「塩浜駅の西口をから線路沿いに歩いていただくと学校の看板が見えてくる。しかし、その校舎は歯科衛生士・鍼灸学科であり、理学療法学科は西隣の校舎になります。」と説明をする。
しかし、土地勘がなければ、イメージができず、結局何度も連絡をしてようやく校舎にたどり着く経験をしたことなど、沢山ある。ところが、アクセスマップなど、地図があることでイメージしやすくなり、土地勘のない者にとってはより具体的にイメージしやすく、具体的に考えられる。つまり、全体的な構造を捉えることで、現在の状況を客観的に把握することを促すことになります。
新聞や雑誌、専門書などさまざまな分野の専門書、白書や論文を読むが「丁寧に噛み砕いてみれば大抵のことは理解することができるはず。そこまでしてわからなければ、専門家しかわからない。そして多くの人がわからないのであろうし、書いてあることが間違っている場合もある。まして、このことを追求しても時間をかけるだけ損である。」などと思い時間をかけずに文章を理解するように努力する。
しかし、理解をしなければ事柄について調べると、「文章がわからないのは、自分の理解不足ではなく、文章そのもの内容が矛盾しているために理解することができない」ことに気がつくときがある。そして、今までの時間は無駄に終わってしまう。
これは、文章による伝達に限界があることにあらわす。文章による限界とは、
1.書かれた文脈にそって読み進めるため、書き手の思考の流れに依存してしまうことになります。これは、人間の思考様式は様々あるにもかかわらず、従う必要があり自分の思考を働かせることができない
2.最後まで読み通さなければ全体像をつかむことができないことである。さらに悪いことに新しい言葉や定義が加わることにより、話が脇道にそれていしまい、文章全体の理解を進めることが難しくなる。
3.文脈の時間的な表現により物事の構造や因果関係、時間的な流れを理解することが難しくなる。
4.理解するために時間がかかり、論理的関係、人間関係、地理的関係、時系列上の関係を理解することが難しくなる。
つまり、文章による伝達の理解に関して、時間がかかることにより全体像を理解することができず、各々の関係性が明確にならないため、何度も読み返す必要性がある。そのため、書き手の伝達したい内容を理解することができず、間違った伝達、理解をしてしまうことになる。
そして、文章を読む・書くときには、「て、に、を、は」や接続詞の使い方を学ぶ必要があり、これらを使うときには慎重にどの言葉を選ぶ必要があり、達意の文章家でも自由自在に、文章で表現することは難しいです。
文章を書くことがどれだけ難しく、理解を促すことに難渋するかを書いてみました。そこで、次はどのように図解すれば効果的かを書いていきたいと思います。
以前にScience Writing Heuristic(SWH) は理科系の学習方法では効果的であり、すでにその効果に関しては有効であると証明されている。しかし、SWHについて教育学部の先生に質問をしたところ、欧米の言語学習についての学習効果は、聞いて記憶し学習する過程の効果についての有効なことが証明されおり、またアジア圏の言語学習については、書いて記憶し学習する効果が有効であることを教えていただき、掲載もしました。
その中でも、理科系の学習方法については、以前より書いて学習することに有効であることを証明している部分があることも教えいただきました。そのため、書いて記憶・理解を進める方法が、科学的な理解を得られていることであるそうです。
そこで、SWHを日本語で訳するのは難しいのですが、訳すると、「文字化による科学的仮設形成法」とでも訳すると良いかもしれませんね。
でも、最近、書店などを見ると「図式化による理解を深める」「図で考える人は仕事ができる」など、難解な問題を解決するために問題を図式化することにより明確することを薦めています。実際にその効果意外と、よく私も利用しています。
では、何故、図式化することでより、問題点が明確になるかを検討してみましょう。
文字、文章による理解は、「読表百編、意自ずから通ず」つまり、「何度も繰り返して読むことで、筆者が言いたいことが自然とわかるようになる。」ということである。確かに難解な文章を読み解くために何度も読み返した記憶がある。しかし、筆者の言いたいことは本当に伝わったのであろうか疑問に残ることがある。例えば、電話にて学校の場所がわからないので教えて欲しいと質問されたときに「塩浜駅の西口をから線路沿いに歩いていただくと学校の看板が見えてくる。しかし、その校舎は歯科衛生士・鍼灸学科であり、理学療法学科は西隣の校舎になります。」と説明をする。
しかし、土地勘がなければ、イメージができず、結局何度も連絡をしてようやく校舎にたどり着く経験をしたことなど、沢山ある。ところが、アクセスマップなど、地図があることでイメージしやすくなり、土地勘のない者にとってはより具体的にイメージしやすく、具体的に考えられる。つまり、全体的な構造を捉えることで、現在の状況を客観的に把握することを促すことになります。
新聞や雑誌、専門書などさまざまな分野の専門書、白書や論文を読むが「丁寧に噛み砕いてみれば大抵のことは理解することができるはず。そこまでしてわからなければ、専門家しかわからない。そして多くの人がわからないのであろうし、書いてあることが間違っている場合もある。まして、このことを追求しても時間をかけるだけ損である。」などと思い時間をかけずに文章を理解するように努力する。
しかし、理解をしなければ事柄について調べると、「文章がわからないのは、自分の理解不足ではなく、文章そのもの内容が矛盾しているために理解することができない」ことに気がつくときがある。そして、今までの時間は無駄に終わってしまう。
これは、文章による伝達に限界があることにあらわす。文章による限界とは、
1.書かれた文脈にそって読み進めるため、書き手の思考の流れに依存してしまうことになります。これは、人間の思考様式は様々あるにもかかわらず、従う必要があり自分の思考を働かせることができない
2.最後まで読み通さなければ全体像をつかむことができないことである。さらに悪いことに新しい言葉や定義が加わることにより、話が脇道にそれていしまい、文章全体の理解を進めることが難しくなる。
3.文脈の時間的な表現により物事の構造や因果関係、時間的な流れを理解することが難しくなる。
4.理解するために時間がかかり、論理的関係、人間関係、地理的関係、時系列上の関係を理解することが難しくなる。
つまり、文章による伝達の理解に関して、時間がかかることにより全体像を理解することができず、各々の関係性が明確にならないため、何度も読み返す必要性がある。そのため、書き手の伝達したい内容を理解することができず、間違った伝達、理解をしてしまうことになる。
そして、文章を読む・書くときには、「て、に、を、は」や接続詞の使い方を学ぶ必要があり、これらを使うときには慎重にどの言葉を選ぶ必要があり、達意の文章家でも自由自在に、文章で表現することは難しいです。
文章を書くことがどれだけ難しく、理解を促すことに難渋するかを書いてみました。そこで、次はどのように図解すれば効果的かを書いていきたいと思います。
2010年9月2日木曜日
全国学力テスト(2)
理科系教育の低迷
日本の国際競争力はIMD(国際経済開発研究所)の調査で年々低下している。それにあわせて”理科離れ”が指摘され、”工学部離れ”も進んでいる。1990年代初頭は66万人にであったが2000年代では38万人で48%減少している。
これは、日本の根幹である、科学技術・イノベーション立国の実現を目指すのでであれば大きな問題となり、将来に大きな危機感を抱かざるを得ない。そのためには、「人」の人材育成に依存するのは当然である。
また、PISA調査によると、科学的リテラシーが2000年2位、2006年では6位、数学的リテラシーでは、2000年1位、2006年10位と年々低下しているが、日本人は高い資質は持ち合わせていると考える。これらの結果を踏まえても、理科離れの人材問題の深刻化は否定できない状況である。そのため、一部においては高い志のもとで、学校や企業など(海陽学園など)ができることを取り組み、理科系人材の問題を解決を図ろうとしている。
しかし、国・学校・企業などが取り組んでも個人の意識が変化しなければ「理科離れ」を脱却することができない。すなわち、国民の意識改革が必要不可欠である。「人生にとって大切なことは、常に高い目標をもち、夢を持ち、その実現に向けて常に努力することであり、決して目前に迫った試験で高得点を取ること、ブランド大学や有名企業に入ることではない。」子供たちが理科系が嫌いになって離れたのではなく、大人達が幼少から提供している教育・社会環境に問題があったと反省するべきである。
国民的意識改革には以下のことが必要であると考える。
「子供の理科離れ」から「大人による理科離し」へと認識を改める。
「理科系人材育成として、「論理的思考力」は必須であるが、これは社会人としても必要であり、そのために理科系教育が有効である。
1.職業によらず、社会人として論理的思考は必須の能力である。
2.論理的思考力の涵養に最も適している教科は理科や数学である。
3.初等中等教育からの知識蓄積だけでなく、体系的な理数教育の実施が重要である。
しかし、これらの問題点を「点」で捉えるのではなく、「面」で捉えていく必要がある。つまり、個人、行政、学校、企業が連携をし、一体となり進めていくことにより、「理科離れ」の子供を減らすことが可能となる。
「ものつくり立国」を目指して初等・中等・高等教育、行政、企業など様々ところで挑戦が始まっている。具体例としては「千葉大学における未来科学者養成講座」「横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校」「大学発教育支援コンソーシアム」「JSR」などである。
それでは、教育現場で個々人に望むものはとは、
中学生には
生きがい(人生の目標)を探そう。
チャレンジ精神を持とう。
”基本” を大切にしよう。人とのつながりを大切にしよう。
本物と接し、本物から学ぼう。身近な人の仕事ぶりを見よう。
今打ち込めることがなければ、まずは勉強しよう。
高校生には
論理的に考える習慣をつけよう。社会常識を身につけよう。
人として基本的な人格を形成しよう。
コミュニケーション能力を磨こう。
生きがい、目標をもち、その先に働くことの意義を見出そう。
グローバルな視点と身近な地域への関心を持とう。
日本語力、英語力(外国語力)を高めよう。
近現代史と全教科にわたる基礎学力を身につけよう。
時事問題への関心を習慣つけよう。
保護者には
世の中が大きく変化していることを理解しよう。
子供に”一人の人間”として接しよう。かわいい子には旅させろ!
子供の個性を尊重しよう。
社会の一員として基本を身につけさせよう。
地域社会や学校活動へ参画し、支援しよう。
子供とのコミュニケーションを増やそう。
感受性・感性を涵養しよう。
「待てない」「褒めない」「やらせない」の3ナイを払拭しよう。
教員には
教育に情熱と使命感をもつ。
子供達に自分の夢を語り、夢を持たせる。
子供の個性を尊重し、考えさせる葦を育てる。
子供達に実体験をさせ、活き活きとした教育を実践する。
保護者と正面から向き合い、家庭と学校の役割について認識を共有する。
外部との接触を通じて自己研鑽する。
「理科系人材問題解決への新たな挑戦」
~論理的思考力のある人材の拡充に向けた初等教育からの意識改革~
2010.6.28 公益社団法人 経済同友会より抜粋
日本の国際競争力はIMD(国際経済開発研究所)の調査で年々低下している。それにあわせて”理科離れ”が指摘され、”工学部離れ”も進んでいる。1990年代初頭は66万人にであったが2000年代では38万人で48%減少している。
これは、日本の根幹である、科学技術・イノベーション立国の実現を目指すのでであれば大きな問題となり、将来に大きな危機感を抱かざるを得ない。そのためには、「人」の人材育成に依存するのは当然である。
また、PISA調査によると、科学的リテラシーが2000年2位、2006年では6位、数学的リテラシーでは、2000年1位、2006年10位と年々低下しているが、日本人は高い資質は持ち合わせていると考える。これらの結果を踏まえても、理科離れの人材問題の深刻化は否定できない状況である。そのため、一部においては高い志のもとで、学校や企業など(海陽学園など)ができることを取り組み、理科系人材の問題を解決を図ろうとしている。
しかし、国・学校・企業などが取り組んでも個人の意識が変化しなければ「理科離れ」を脱却することができない。すなわち、国民の意識改革が必要不可欠である。「人生にとって大切なことは、常に高い目標をもち、夢を持ち、その実現に向けて常に努力することであり、決して目前に迫った試験で高得点を取ること、ブランド大学や有名企業に入ることではない。」子供たちが理科系が嫌いになって離れたのではなく、大人達が幼少から提供している教育・社会環境に問題があったと反省するべきである。
国民的意識改革には以下のことが必要であると考える。
「子供の理科離れ」から「大人による理科離し」へと認識を改める。
「理科系人材育成として、「論理的思考力」は必須であるが、これは社会人としても必要であり、そのために理科系教育が有効である。
1.職業によらず、社会人として論理的思考は必須の能力である。
2.論理的思考力の涵養に最も適している教科は理科や数学である。
3.初等中等教育からの知識蓄積だけでなく、体系的な理数教育の実施が重要である。
しかし、これらの問題点を「点」で捉えるのではなく、「面」で捉えていく必要がある。つまり、個人、行政、学校、企業が連携をし、一体となり進めていくことにより、「理科離れ」の子供を減らすことが可能となる。
「ものつくり立国」を目指して初等・中等・高等教育、行政、企業など様々ところで挑戦が始まっている。具体例としては「千葉大学における未来科学者養成講座」「横浜市立横浜サイエンスフロンティア高等学校」「大学発教育支援コンソーシアム」「JSR」などである。
それでは、教育現場で個々人に望むものはとは、
中学生には
生きがい(人生の目標)を探そう。
チャレンジ精神を持とう。
”基本” を大切にしよう。人とのつながりを大切にしよう。
本物と接し、本物から学ぼう。身近な人の仕事ぶりを見よう。
今打ち込めることがなければ、まずは勉強しよう。
高校生には
論理的に考える習慣をつけよう。社会常識を身につけよう。
人として基本的な人格を形成しよう。
コミュニケーション能力を磨こう。
生きがい、目標をもち、その先に働くことの意義を見出そう。
グローバルな視点と身近な地域への関心を持とう。
日本語力、英語力(外国語力)を高めよう。
近現代史と全教科にわたる基礎学力を身につけよう。
時事問題への関心を習慣つけよう。
保護者には
世の中が大きく変化していることを理解しよう。
子供に”一人の人間”として接しよう。かわいい子には旅させろ!
子供の個性を尊重しよう。
社会の一員として基本を身につけさせよう。
地域社会や学校活動へ参画し、支援しよう。
子供とのコミュニケーションを増やそう。
感受性・感性を涵養しよう。
「待てない」「褒めない」「やらせない」の3ナイを払拭しよう。
教員には
教育に情熱と使命感をもつ。
子供達に自分の夢を語り、夢を持たせる。
子供の個性を尊重し、考えさせる葦を育てる。
子供達に実体験をさせ、活き活きとした教育を実践する。
保護者と正面から向き合い、家庭と学校の役割について認識を共有する。
外部との接触を通じて自己研鑽する。
「理科系人材問題解決への新たな挑戦」
~論理的思考力のある人材の拡充に向けた初等教育からの意識改革~
2010.6.28 公益社団法人 経済同友会より抜粋
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